立春に新しい気の流れのスタートとして自分の人生を振り返る時間を持ち私の人生年表を作ってみました
何度か作ったことはあるのですが、久々に作成してみるとたくさんの気付きがあります。
この体験がここにつながっているという流れもみえますし同じ様な感情傾向がある自分も発見します。
今回は親の愛についての自分の囚われを発見しました。
子どもの頃の私は家族の中にいても、自分の居場所を感じられませんでした。
じゃあ、本当に愛されていなかったか?というとそういう訳でもなく
「可愛いね」という言葉も言われていましたし、抱っこもしてもらっていたし、褒められたこともあります。
兄は私をとってもかわいがって、私を愛してくれていました。
ですが、どうしても親からは愛されている感を感じることができませんでした。
頭で考えると、親は親なりに精いっぱい私を大切にしてくれたのも理解できます。
親に感謝している嬉しかった体験もたくさんあります。
可愛がってもらった体験だって思い出せます。
でも、どうして感情としての愛情を受け取れなかったのか?
年表を作成していて、ふとそんなことを思い出したのです。
私たちの魂はなりたい自分に合わせて現実を選択しています。
つまり、どんな現実でも自分の望んでいることが今ここに在るのです。
感じていることも
起きている現象も
悩み事さえも
自分の魂が必要としていることが起きている。
少し時間をとって内省してみました。
「愛されていないと感じることで私の魂は何を手に入れていたのでしょうか?」
人からの同情?
愛情を与えても相手からは受け取らない優越感?
愛されるために頑張ろうとする原動力?
寂しさを体験するため?
他の人とは違うという感覚?
弱い自分を守ってもらおうとしていた?
相手を加害者に仕立てていた?
ネガティブな自分に酔いしれている?
無価値観に浸るため?
一晩考えて分かりました。
親は私を愛してはいましたが、
その表現方法がこういう行為をしたあなたは好きだという
条件付きの愛情に私には感じていたのです。
愛を受け取らないことで壁を作り、親からの干渉から自分を守っていた
愛を感じていたら、申し訳なくて干渉を受け入れていた自分がいたかもしれません。
もし、ある感情に囚われていると感じられるとしたら
それがあることで手に入っているものを見つけてみませんか?
すぐに見つからないこともあるかもしれませんし
みたくない自分に出会うかもしれませんが
それを受け入れることが魂の傷に気付いて解放することの一歩に繋がるのです!
私は愛されていないと感じることを選んだ自分に気付いて楽になりました。
私たちの魂は感じることすらも自分で選んでいます。
あなたが、今感じていることを選択しているのは何故でしょう?
魂の声に耳を傾けてはいかがですか?